段階論から孤立した原理論―宇野原理論の問題点―

小幡道昭

報告要旨

 宇野弘蔵の方法論の核心を一つに絞れば、段階論を原理論から分離した点にある。この分離の目的は、資本主義が歴史的に変容し、異なる型をもつことを解明するところにあった。これは『資本論』の収斂説的な資本主義像を、マルクス没後の現実をふまえて、大きく転換する意義をもっていた。資本主義の歴史的変容や多様性に理論的に接近する方法を宇野が模索した点は高く評価したい。だが、宇野没後30年の現実をふまえると、宇野の発展段階に示された資本主義像もまた、今日再転換を求められている。資本主義はその純粋なすがたに近づけば近づくほど、内的な矛盾が解決困難となり論理必然的に自己崩壊する、というマルクスの主張を宇野は裏返し、原理的に構成された純粋資本主義ならば、恐慌を通じて労働力の困難を克服し自律的に発展するが、この純粋化の傾向が鈍化・逆転した資本主義の歴史的発展段階の出現は、資本主義が没落期に達したことを意味すると主張した。純粋化=崩壊論に対する不純化=没落論である。この命題は、古典的帝国主義論から大内力氏の国家独占資本主義論、福祉国家型資本主義論等にかたちを変えながら、経済的要因のうちに商品経済的とはいえない影響が増大することを強調するかたちで受け継がれてきた。

 この枠組みが、没後30年、新たな歴史的現実をまえに、根底的に揺らいでいる。新たな地域・国家における資本主義の勃興であり、それに規定された、既存の資本主義諸国の変容である。これは、帝国主義段階にもう一段付け足せばすむことではない。宇野の提示した資本主義の原理像に立ち返り再構築することが求められる。理論的に構成される資本主義は、それ自体のうちには、変容の契機は存在せず、多様化をもたらすのは理論に対して外的な条件である、という基本命題から見なおさなければならない。このような観点から原理論を吟味し直してみると、そこには資本主義が多様化せざるを得ない内的な契機が伏在することに気づく。論理的な推論で内的に説明できない問題は、無数にあるわけではないが、労働力商品化という一点に限られるわけでもない。報告では、(1)商品から導出される貨幣は金貨幣となるのか、(2)商品流通から導出される資本は、個人資本となるのか、(3)資本主義的生産様式は機械制大工業というかたちをとるのか、(4)景気循環は激発恐慌を媒介に循環する一つの型になるのか、という問題を例に、宇野原理論を見なおすポイントにふれる。                   (2007年8月23日)

               

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