「段階論」構成の方法と資本主義の諸カテゴリーの現実態

河村 哲二

はじめに 4報告の中心問題

 「宇野理論を現代にどう活かすか」という問題については、HPでも紹介されているが、SGCIME(マルクス経済学の現代的課題研究会)で、そうした基本的な問題意識を共有して―それだけには限定されないが―すでに10年以上研究を進め、10冊シリーズの刊行企画のうちあと二冊を残しているが、ほぼ完結する段階にまで来ている。その成果は、完結後詳しく総括する必要があるが、その過程で非常に多くの議論がなされ、またその成果は各巻の中でさまざまな角度から具体的に論じられてきている。そうした経緯を踏まえて、4報告に対しコメントすることにしたい。

 4報告ともに、20世紀資本主義の展開、とりわけ近年のグローバル資本主義の出現という資本主義の大きな変容、またその過程で起こったソ連・東欧社会主義崩壊という事態に対して、宇野理論体系の有効性と限界を問うという問題意識を共有する。当然こうした立論では、宇野理論の神髄である純粋資本主義社会」想定の方法と「純化・不純化」の認識、およびそこから導き出されている原論体系の純化と段階論の必然性という宇野理論体系の最大の特徴に関する方法的問題や歴史的制約による限界の問題が中心的な問題となってくるものである。鎌倉報告では資本主義の主体としての資本の「流通形態本質」論を軸とした立論から論じている。また、大黒報告では「純粋資本主義」想定の意味を思想的背景にさかのぼって探るという立論となっている。小幡報告では「純化」・「不純化」論からの脱却を原論の再構成の中に探ろうとしている。馬場報告では、アメリカ資本主義基軸化の問題を軸として、原論を手直しし、同時に「大段階」と「小段階」を区別して、帝国主義「段階」の延長のうちに、現代資本主義におけるアメリカ資本主義の基軸化の問題を吸収する立論になっている。いずれも、重要な問題提起となっているが、宇野以後のまさに「没後30年」の現実の資本主義の解明について、宇野理論体系が宇野の時代の現実資本主義を分析したほどの理論的な展開が果たされているかといえば疑問である。宇野以降の宇野派の現状を反映しているともいえよう。宇野理論体系の全容にわたってその意義と限界を、宇野に学びつつ、改めて明らかにする作業が必要であるといえそうである。

 この短いコメントで、そうした課題を全面的に果たすことはできるはずもないが、少なくとも、SGCIMEのこの10年の試みは、そうした方向を指向してきた。ここでは、鎌倉報告が指摘するように、宇野の原論の体系的純化のエッセンスである、流通形態としての本質をもつ資本が主体となって、労働力商品化を通じて実体を包摂することによる「無理」を軸として、現実的な運動機構を展開するものとして描き出される資本主義の原理像において規定される資本主義の諸カテゴリーと、その現実資本主義における現実態との関係を軸に、宇野理論体系の社会科学としての最大の特徴である「段階論」の構成方法の問題に絞って論じておきたい。

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報告へのコメント全文:宇野没後30年集会コメント要 旨
(PDFフォーマット)